施主のいない仕事

建築の仕事は建主がいてどういう建物か要望を聞いて初めて成り立つ。要望の聞き取りとアウトプットする変換機のようなことをしているのが自分はしている。

当初は、野良建築の事務室になるかもしれないとも思っていたが結果的に朝日町に引っ越すことが決まったので本当に用途がないのだ。

しいて言えば「作業場」又は「実験室」だと思う。

岩波の小屋においては、何も要望はない。手の動くままに作る。作れないものはあきらめる又は別の方法や道具、工法を試してみる。

目的は作ることなので、イメージとしては海からボートで漕ぎ出して、川を上り、源流を探している。あてがないことだけが確かなことなのだ。

そして表層の仕事は実際に作ることを指す。

深層は設計者思考の土台となること深層にも深さがそれぞれある。一般的な設計を行うとそれが表層まで現われることときにはかなり削られ思考の欠片しか残っていない状態だと思う。

この小屋の改修は自分の思考に向き合うことが前提の作業と言える。

自分は人間であるため早く形を見て見たいという欲求があるが。

落ち着いて考え見極めなければいけない

建築は覆われ過ぎているのかもしれない。

固く守られていて。

建築は雨風を凌ぐだけの純粋さに長けてもいいのでは?

鋼板を剥ぐ捲る。雨音が鳴る。

表皮を剥いだ先には形を作り出すという考えの根底を考え直すきっかけになりえないだろうか?